接続と進行の違い

今までなんとなくわからないまま放置してきたものがあります。
それは進行(正在+V+呢)と接続(V+着)の違いです。

「Why?にこたえるはじめての中国語の文法書」に書いてある解説をじっくり読んで少しはわかってきたような気がしますが、正確にはわかっていません。

自分なりにまとめると
進行は遠くからの視点。なんの動作をしているのかわかっていない状態からわかった状態に変化したときに使う感じ。
接続はずっと近くからの視点。その動作をしているのがわかっていて、さらにその動作がどういう状態になっているかに注目してあらわす時に使う感じ。
接続の場合、V+着、という形で動詞に”着”をくっつけるくらいだから、動詞自体にぐっと注目した表現なんだろう(と想像)。

この進行と接続は相性がよく同時に使うことがあると書いてあります。これもよくわからない。
参考書には例として、野外の電話ボックスで話している女性の写真とともに
他正在打着电话呢。
という例文が載せてありました。この写真を見ると少しわかったような気はしますが、いまだ正確にはわからず。
電話をかけている彼女の状態を認識したことを進行で表し、さらに彼女が今もまだ電話をかけている状態だとその行動自体に焦点を合わせて認識したことを接続で表してるのかなというのが今のところの結論。

こういうのって、きっと一回わかってしまえばなんてことないんでしょうね。

NHK WORLD Chineseについて

http://www.nhk.or.jp/nhkworld/chinese/top/index.html
NHK WORLD CHINESE

以前も書きましたが(NHK WORLD Chineseが便利:参照)、ちょっとした空き時間などにこのNHK WORLDの中国語版を聞いています。他に中国語の歌の動画もよく見ています。中国語の歌は下に歌詞も出るので、文字を目で追いながら聞きます。それで思ったんですが、音声だけより文字があったほうが頭に入りやすいです、自分の場合は。あえて音声だけ聞いて鍛えるのも一つの方法ですが、音声と同時に文字も見れるニュースなども探してみようと思います。このNHKニュースも割と気に入っているので今までどおり聞いていきます。

広東語について

CD BOOK はじめての広東語 (アスカカルチャー) CD BOOK はじめての広東語 (アスカカルチャー)

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広東語って名前は聞いたことがあるけど、どんなものか知らないので
気分転換にこの「はじめての広東語」という本をさらっと読んでみました。
簡単に広東語をまとめると

・中国語の方言
・いわゆる共通語とはだいぶん違う
・主に香港で話されている
・約8000万人が使っている

私が想像していたよりずっと多くの人が使っているので驚きです。
わりと有名な香港映画が広東語で作られていたりするのはそれだけマーケットが大きいということなんでしょうね。
本の中で発音や文字、文法の違いが紹介されていますが、発音がかなり違います、中国語を話せるようになっても広東語はそう簡単には話せなさそうです。

生きた語学と記憶力に思う

中国語の参考書など出されている相原茂さんのエッセー本をまとめて読みました。
以前数冊読んで気に入ったので今回まだ読んでない本を全部読みました。期待通りに面白かった。この人のエッセー本はもっと評価されていいと思うんですが、世の中的にはそれほどでもないようです。

まとめて5冊以上読んだのでどの本に載っていたのかは忘れましたが、役に立つと思ったのが
どうして留学すると語学の上達が早いか?という話しです。
留学すると、言葉を生活に密着したものとして使う、言葉だけを無味乾燥したものとして使うんじゃなく、必ず言葉に生の生活場面などがくっついてる
だから覚えるのが早い。
よって留学などしなくても、日本でも、言葉を生の場面を想像して使うことができる人は凄く伸びるという話でした。

例えば、中国語で嬉しいという意味の「高兴」もただ単語を見て頭でっかちに覚えるんじゃなくて、実際の嬉しい場面を想像して、もしくは実生活で嬉しいことがあった時に、その感情を「高兴」という単語と結びつける。すると記憶が体に染み付いて残りやすくなる。
イメージとしては
単語だけを丸暗記するのは、頭の中にその単語がふらふら漂っている状態、不安定なのですぐどっかに行っちゃう=忘れやすい。
文章の中で覚えるのは、その単語に糸が何本かついて、頭の中にある程度固定された状態。
生活に密着した状態で覚えるのは、その単語にそこらじゅうから糸がびっしり張られてがっちり固定された状態。

1人で勉強していてもなかなか覚えられなかった表現が、実際に中国人との会話の中で使うと一発で覚えて二度と忘れないというのはこの典型ですね。
語学はできるだけフルに五感を使って生活と密着したものとして使おうと思います。こういう仕組みって誰でも体験としてある程度はわかっているけど、明確に意識してやってる人は案外少ない気がするんですよね。

他に相原茂さんの本で頭に残っているのは、
・言葉ができるかどうかには”会”を使う、つまり人間にはもともとできることなんだから
変に緊張したり、力んだりしなければ習得できるものではないか?安心して、リラックスしてやることが大切。
・中国語を自在に操っている将来の自分の姿を想像して、それに成り切るといい。
・中国語の発音を人に教えると、こちらの発音を素直にただ真似してくれるだけでいいのに、イマジネーション豊かに、まったく違う発音される。

変に語学は難しいという先入観が邪魔になることは実感していたので共感。
成り切ることはモチベーションを保つのに役に立つ。
素直に真似してくれないという話は、私にも当てはまるので耳が痛いです・・・。何か技術を学ぶときは素直に真似できる人ほど習得が速いのはわかっているんですが、もっと意識してこの点を気をつけよることにします。

あ、あとなぞなぞの本が売れないと書いていたのが何気にウケました。いつもアマゾンで見ていて、これは売れないだろうと何気に思っていたんですよね・・。さらになぞなぞ本の2冊目を出したらさらに売れなかったとか・・。

→相原茂さんの本一覧(amazon)

ご飯食べましたか?というあいさつ

吃饭了吗?

これは直訳するとご飯食べましたか?という意味ですが
中国人は実際にご飯を食べたかどうかを聞くだけでなく挨拶代わりに使う、というふうに参考書などでよく紹介されています。
20年以上前から中国に何回も行っている外国人が話していたんですが、
昔の中国は食料が不足していたから、ご飯食べた?という言葉を挨拶代わりに多くの人が使っていた、とのことです。
食べ物が足りないことから、ご飯食べた?が挨拶としてつかわれるようになったのかどうか本当のことは知りませんが、なるほどなぁと思える話です。

この前、この
吃饭了吗?
を朝の10時ごろ中国人相手に使ったら、「今はご飯食べる時間じゃないでしょ?朝の10時だよ?」と
何変なこと聞いてるの?という感じの返事が返ってきました・・・。
中国語の参考書には挨拶代わりに使うと書いてあると話したところ
ああ、食事の時間帯になら使ってもいいけど、全然違うときには使わないとのこと・・・、そりゃそうだよね。
こうやって実際に使って間違えるとすぐに体で覚えるから、恥をかくのは嫌いじゃなかったりします。